いい歌、いい歌詞に出会うと気持ちがいい
androidのスマホを使っているんですが、私が使っている音楽アプリはこのミュージックマッチ。
バックグラウンド再生もできて、歌詞などをダウンロードして追ってくれる、そういうアプリ。
ストリーミングアプリが今は主流なのかもしれないけど、格安SiMなのでパケット量を無尽蔵につかう気はなく、スマホのSDにいれた音楽データを再生するアプリで機能的には満足している。
そんな私が今日、車の中で曲かけていて目に止まった(耳に止まった?)のが、RADWIMPSのトアルハルノヒ。
RADWIMPSは高校からきいていたっけか、だからもう10年以上? 惰性的にきいたり、聞いていなかったり、そんくらいのポジションで、前からスマホの中にデータとしてあったし、きいてもいたが、聞き流す程度でそんなに歌詞に気を止めていなかった。でも今回、アプリで歌詞をみて、きいて、なんかじんわり。
本当は歌詞を全文引用したいところだけど、権利的な問題がありそうなので割愛。ネットで検索すればいくらでもすぐ出てくるので、気になる方はそちらを確認頂ければ。
簡単に個人的解釈をかいていく。
14のハル、(RADWIMPSと出会い、)毎日ずっと聞き続けた。21のとき、やっと手紙(おそらく楽曲)の返事(ファンレター)が届いた。
そして、「サビのロックバンドなんてもんを、やっていてよかった。」これが何度も何度も出てくる。本当に嬉しくて、クリエイター冥利につきることなんだろうなー。
それがあまりにも嬉しくて、この返事(ファンレター)への手紙(この歌)を書いた、発表した、という感じでしょうか。
「宛名もなく書き綴った夢を 恥じらいもなく晒してきた本音を」
「名前さえしらずに」「わかりあえた」
ここらへんはRADWIMPSらしい、ストレートな歌詞。ストレートな分、思いが伝わりますよね。ほかの人たちもそうなんだろうけど、津田洋次郎さんもきっと孤独や葛藤と戦いながら、迷いながら音楽をつくっているんだろうな…。
「時に忌み嫌いーーー周りの誰が聞かずとも はやりの歌流れようとも」
ここらへんはやっぱりプロ。音楽がどんどん生まれ、消えていく(忘れられていく)無常観というか、プレッシャーというか。でも、そのあとにさっきのサビ
「ロックバンドなんてもんを、やっていてよかった」
にもう1度繋がる。
こうやって長く聞いてくれる、忘れないでいてくれる、影響を与えるくらい好きな歌。そういう歌を作れた喜びと、そういう人に歌を届けられた喜び。本当に嬉しいが伝わってくる。
きっとファンの人はRADWIMPSに大きな感謝をしているんだろうけど、クリエイターも歌を拾って育ててくれた、巡り会ってくれた、そういう喜びや感謝をもってくれてるんだなー。ワンオクのライブとかはファンて何なんだろうなーと思わされることもあるけど、クリエイターも聞き手、ファンに心動かせれている、そう知ることができて、ファンも嬉しくなっちゃう。美しい関係だなー。
「書きなぐり続けて10年、少女が現れた」「手紙の返事を宿して現れたんだ」
まあこれは言わなくてもよかったんじゃないかとも思うが、最後にネタばらしというか、読解力や創造力の乏しい人に解説文というか、そういうもんでしょうか。
でもこの少女(実在はするとは思うけど、本当に少女なのか、ぼかしてるのかわからないが)、こんな、アンサーソング貰えて嬉しいだろうなー。
終始、出てくるカタカナのハル。季節の春とダブルミーニングな気がしますね。これは当事者たちにしかわからないメッセージ。この少女なら、ハルと伝えればきっとわかってくれるんでしょう。
ハルがつく名前なのか、ハルがファンレターのペンネームなのか、それとも7年間聞き続けた歌やその返事に出てくるキーワードなのか。
ファンと一緒に生まれた歌。喜びを物語調に、そしてストレートに歌った歌。
いつも忙しかったり、作業しながらBGMとして聞き流してしまうことが多い音楽だけど、歌詞をじっくりみて、(合っているか合っていないかは別として)噛み締める、味わうのっていいですよね。
こういう考えさせてくれる歌詞、好きです。
RADWIMPS、久しぶりにまたきいてみようかな。